変わる日常 (上)



作・S





長島高等学校理数科に進学した。

金銭面のこともあるが、なんとなくだ。

自分にはどうしてもなりたい職業なんてない。

別に未来に対して希望を持っているわけでもない。

…いや、違うな。

俺は未来に対してただ一つだけ希望を持っている。

神藤葵。

彼女だけだ。

いつまでも側にいたいと思う。

ふざけた希望だといわれてもかまわない。

…そうか

これが人を愛するということなのか。

今まで生きてきて、初めて愛という言葉を知った気がする。

俺が知った愛は国語辞典に載っている通りじゃなく、もちろん、広辞苑にある通りでもない。

愛とはひとりひとり違い、感じてみなくてはわからないものなのだろう。

言葉で言ったところで、どれだけの力が愛にあるのだろうか?

おそらく無に近いのではないだろうか?

いや、無限に近いかもしれない。

そう所詮は我々が話している言葉の力をはかることなどできない。



「どうしたんだ、そんな顔して?」

かけられてきた声にハッとする。

そのまま相手を確認する。

井村だ。このクラスには他に知り合いがいないから当然だな。

「いや、なんでもない。」

俺は軽く頭を振った。

考えていたことをうやむやにする。

「そうか?」

井村は訝しげに俺の顔を覗き込んできた。

「ああ。で、どうかしたのか?」

俺は井村の顔を手で押し退けながら聞く。

「ん?ああ、一緒に部活見て回らないかと思ってな。」

「おお、そうか。聞いとらんかったわ〜。いいぜ、何処から見にいくん?」

「う〜ん…」

「決めてなかったのかよ?!弓道から見にいくか?」

「おう!」



ターンッ!

『セイッ!』

矢が的を射ると同時に部員から声が出る。

「すごいな…」

井村が感嘆の声をもらす。

「弓道と剣道だけは全国レベルらしいからな。」

俺はさして興味をもたないといった感じで言った。

「そうらしいね。どうする?みてく?」

なかなかの笑顔で俺に問う。

少しはその笑顔を女に向けてはどうだろうかとも思うが、口には出さない。

面倒だし。

「お前が決めろよ。俺はどっちでもいい。」

入る気ないし。

「どうした?ご機嫌ななめだな。」

「どうもしてないさ。で、どうするんだ?」

「怪しいね〜ま、いいか。次はソフテニでも見に行こうぜ。」

井村は俺をジロジロとみてきたが、やがて歩き出した。

「ああ、わかった。」

俺もそれにあわせて歩き出す。



パンッ!

スパンッ!

ボールを打ち合う音が聞こえる。

「へぇ、テニスコートは校外にあるんだな。しかも2つか。」

俺は3コートずつ並んでいる敷地を交互にみた。

硬式のテニスコートよりもソフトテニスのコートが高い位置にあるために壁ができている。

まあ、高校自体なんとなく狭いから仕方ないんだろうが。

「右が硬式で左がソフトらしいよ。」

井村が教えてくれる。

ふむ、どうせなら硬式をみてみるか。

硬式のコートへ目を向けた。ボール拾いをしていた男と目が合う。

確か…中学の先輩だ。

そいつは驚いたように俺たちを見て近付いて来た。

「お〜井村君!テニス部にはいるん?洋邦も?」

井村は困ったような顔をしている。

「いや、どうですかね〜。まだ見て回ってるだけですし。」

「いいじゃん、いいじゃん。はいろうぜ?楽しいよ!」

男は井村を熱心に誘う。

俺は軽く溜息をついた。

「いいじゃん。見てこいや。」

「いいのか?」

「ああ。見終わったら教えてくれ。」

俺は壁を親指で指しながら言った。

「わかった。じゃな。」

井村は軽く手を振った。

「洋邦、お前は?」

男が忘れていたかのように言ってくる。

ムカつくやつだな。

「いえ、すいませんがテニス部には入るつもりがないですので。」

ムカつくヤツだが礼儀を失するわけにはいかん。

「そうか。」

それだけいうと男は井村の手を引いてコートへ戻っていった。

非常に目障りだ。

男は自慢げに井村を紹介している。後輩を自慢してるのか、新入部員を連れてきたことを自慢してるのか、イマイチ判別できない。

まあ、井村が入ることはないだろうから関係ないことだが。

俺は壁に背中を預け、コートをみた。

…ふむ。やはり俺にはテニスなど向いていないようだ。

辺りを見回してみると、同じように壁に背を預けている男を見つけた。

同学年だろうか?

男と目が合った。

「こんにちは。」

俺は微笑みながら言い、頭を下げた。

男も俺と同様の仕草を返してくる。

非常に綺麗な顔をしている。

学生服でなかったら女と間違えていたかもしれない。

いまでも男装の麗人と見える。

まあ、もし女だとしたらやけに凹凸のない体をしているが。

俺がじっと見詰めていると男が口を開いた。

「見学…にはみえないですね。付き添いですか?」

響く声。テノールといったところか?

合唱でもやっていたのではなかろうか?

「ええ。ま、似たようなもんですよ。」

口に何か欲しい。

不意にそう思った。

ポケットを探ると、硬い感触が2つ。

取り出すと飴玉だった。

「お名前は?」

男が俺の横に寄って来た。

「松尾洋邦。君は?」

ちょっとだけ、試してみよう。

俺は飴玉を差し出した。

男は軽く頭を下げ、飴玉を受け取った。

「新宮寺です。」

新宮寺が飴玉を口に入れるのをみて、俺も口に含んだ。

どうやら高校最初の友達はこいつのようだ。

不思議なことに新宮寺は俺を見詰めている。

正確には俺の眼を。

少しだけ気まずい空気になる。

「ずっと俺をみているようだが、どうしたんだ?俺に惚れたのか?」

俺は軽い冗談のつもりで言う。

むう…滑ってしまったのだろうか?

新宮寺はくすりともしてくれない。それどころかなおさら真剣に俺の眼をみてくる。

「…眼は多くを語ります。」

いきなり新宮寺が口を開いた。それと同時になんとなく空気が重くなる。

脈が速くなったのがわかる。

「ほう?では俺の眼は何を語っている?」

俺は新宮寺を嘲るかの様に言った。

とりあえず、俺のペースにしたい。

「あなたは不思議な人だ。」

一瞬、背を冷たいものが走る。

「不思議ねえ…俺は日々、真面目に生きているつもりだが?」

空気は軽くならない。

「あなたは深い情を持っている。それと同時に、同等の闇を持っているようだ。」

なるほど。深い情か。

それならいいのだがな。

「…人は表裏一体の生物だろう?なら、不思議ではない。それともお前は違うというのか?」

「いや…」

新宮寺が言葉に詰まり、下を向く。

一気に重い空気は晴れた。

俺はコートの方を見た。

学生服の男達がウェアを着た男に頭を下げている。

丁度終わったようだ。

「新宮寺、終わったみたいだぞ。」

俺の言葉に新宮寺は顔を上げ、コートの方を見た。

「じゃ、またな。」

俺はそれだけ言うと、井村の方へと向かった。



「で、まだ見たいところはあるのか?」

運動部をあらかた見終えたところで井村に尋ねた。

「ん〜特にはないね。洋邦はどこに入るか決めた?」

「ま、一応な。こっちだ。」

俺は本館の方へ歩き出した。

「なんで本館の方に行くんだよ。運動部には入んねえのか?」

「まあまあいいから。ちょっち付いて来いや。」

ぶつぶつ文句を垂れる井村を宥めつつ、本館へと入った。

「えっと・・・右行って真っ直ぐだったな。」

玄関を右に曲がり少し歩く。

「ここだ。」

俺は振り返って井村に言った。

井村は上のプレートを見て固まっている。

「・・・生物室だよな?」

井村が確かめるように聞いてくる。

「やれやれ漢字も読めなくなったのか?」

「んなわけあるか!!」

「で、俺は今から入るがお前はどうする?」

「・・・仕方ないな。」

井村は諦めたように首を振った。別に入ってもらわなくてもいいんだがな。

1人よりは2人のほうが気持ち的に楽か。

俺は生物室のドアをノックした。

「失礼します。」

俺たちの声がシンクロする。

中には誰もいなかった。

「どういうことだ?」

井村が後ろから問いかけてくる。いや、正直怖いんだからやめてくれよ。

「準備室にいるんだろ。」

俺は準備室のドアをノックした。

「はい?」

女の声。

先生か先輩か?はたまた同級生か?

「失礼します。生物部に入部しに来ました。」

俺はドアを開けると、開口一番そう言った。

白衣を着た女と太った男がいた。先生だろう。

どうやら生物部の先輩はいないようだ。

「入部希望なんだね。届け出は?」

男の先生が寄ってきた。

俺はポケットに入れておいた入部希望書を差し出した。

「う〜ん、印鑑が足りないね。これに印鑑押して持ってきてね。」

そういうと先生は席へと戻った。

「失礼しました。」

居心地が悪くなった俺はすぐにドアを閉めた。

「どうやった?」

井村がニヤニヤしながら聞いてくる。

「印鑑が足りないってさ。」

「そっか。本当に入るんか?」

「ああ。」

「そっか。」

それだけ言うと、俺たちは教室へと戻りだした。









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