新しい日常の足音 (上)



作・S





俺たちは長崎の町で一夜を過ごすことになった。

なんでも小田切さんの娘の誕生パーティーが行われるらしい。

できれば今日のうちに長崎を離れたかったが、今は小田切さんの決めたことに従うしかない。

俺はホテルの中でぼーっとしておくつもりだったが、小田切さんからパーティーに出席するように言われた。高橋と根本も出席させられるようだ。

用意されたスーツに身を包み、ネクタイを締める。

「ほう、似合うじゃないか。」

感嘆の声に頭を下げる。

それ以上、小田切さんは何も言わず、俺たち3人はパーティー会場へと連れて行かれた。端の方にはショットバーのようなものもある。金持ちというのは理解できない。

まだ開始前なのだろうが、準備のボーイ以外にちらほらとドレスやスーツ姿の人がいる。

おそらく、暇な金持ちたちだろう。何度かそういう人がいることを聞いたことがある。

小田切さんはそのまま俺たちを残してどこかへといってしまった。

俺たちに気づいたボーイが近寄ってきて、数種類の飲み物を持ってくる。

生憎と酒やタバコといったものには関心がないため、どれがどういうものかわからない。

とりあえずは白色の炭酸系統と思われるものをとる。

口に含むとスッと鼻からぬける。ライム系統を使ったものだろう。アクセントにミントの葉が添えられている。

なんともいえない後味がする。どうやら酒だったようだ。

酔うことはないだろうが、自重するべきだろう。こんなものに貴重な人生を奪われたくない。

1人づつ、観察する。どんな感じの人か、おかしな人はいないか。

ときたま思い出したようにグラスに口をつける。

ふと、場にそぐわない人を見つけた。

いや、場には合っているのだろうが俺の常識と合わない人だ。

簡素なドレスに身を包んでいる美しい、というよりは可愛い女の子だ。着ているドレスはやはり高価なものなのだろう。柔らかく彼女を覆っている。歩き方も整っている。街中であったならば見入っていたかもしれない。

問題は彼女の年齢だ。おそらく同じか、1つ2つ下だろう。そのくらいの女の子がこのような場にいることが不思議でならない。

やはり令嬢というものなのだろうか?第三者的な視点からしか金持ちの世界を見た事がない俺には計り知れない世界だ。

目が合った。異質なものを見るような目だ。仕方がない。確かに俺はこの場において異質な存在だろう。

とりあえず会釈をする。それをみて何を思ったのか彼女は俺の方へと向かってきた。

考えてみれば、小田切さんの娘の誕生パーティーなのだ。彼女のような女の子がいても不思議ではない。むしろ、彼女が娘なのかもしれない。そう考えはじめるとそう思えてしまうから不思議だ。

俺はあえて彼女の方へ向かってみた。5、6歩踏み出したところでお互いとまった。

「お初にお目にかかります。松尾と申します。」

グラスを持ったまま、軽く頭を垂れた。

「こちらこそはじめまして。小田切一葉でございます。」

彼女も軽く頭を下げる。小田切ということは、小田切さんの娘ということで間違いないのだろう。もしも間違っていたとしても、分家とかはないだろうから関係者ということに変わりはない。

ん?分家ってのは苗字が変わるんだっけか?いや、考えたところで仕方のないことか。俺には関係なかったことだしな。当事者たちにしかわからんもんだろう。

ふとみると、彼女もなにかを考えているようだ。なんだろう?なんで俺みたいな輩がこんなところにいるんだとかかな?

まあなんであれお互いに黙ったままでは気まずくなるだけだ。

「お誕生日おめでとうございます。」

とりあえず挨拶はした。これで非礼ではなくなったろう。だが、これ以上は会話を交わすべきではないだろう。

俺は小田切さんの娘に紹介されていないし、その逆も然りだろう。今のところ騒がれてはいないので大丈夫だとは思うが、万が一ということがある。

早々にこの場を去るべきだ。

俺はゆっくりときびすをかえし、ショットバーに座っている高橋達の所へと向かう。少しだけ後ろを見た。彼女は他の人に挨拶をしている。取り立てて騒ぐつもりも無いようだ。

「下見は終わったのか?」

高橋がニヤニヤしながら俺を見る。どういう意図なのかすぐにわかるのがなんとなく腹立たしい。

「年齢ほどガキじゃねえんだ。あれがダメならこれなんてやらねえよ。」

グラスを飲み干した。軽い炭酸が喉を打つ。次いで微かなライムの香りが鼻を貫けた。

「ふん。自棄か?」

俺は無視してバーマスターに酒を頼んだ。ティオ・ペペ。有名な食前酒だ。軽く口に含んだ。甘い。

「出入り口、覚えてるか?」

「右左左右左だ。出るのか?」

「風に当りたいのさ。」

「そうか。」

俺は2人とグラスを合わせた。心地良い音を聞き、飲み干す。

会場をでて、出口へと向かう。

外にでて、一度大きく深呼吸をした。緑が多く、空気も澄んでいる。

喘息持ちの俺にはそれがとても嬉しい。普段の生活でこれ程自然に、軽く息をすることなどできない。

俺は木に寄りかかった。

空が綺麗だ。澄んだ空。現実でないかのようにすら思える。そのまま目を閉じると、ゆっくりと意識が遠のいていった。



微かな寒さを感じ、目を開けた。日が落ち、星がいくつか出ている。1時間ほど眠っていたのだろう。体が強張っている。

身体全体を動かすようにストレッチし、柔らかくしていく。10分程で元の状態に戻った。手首と指のストレッチを続けながら館の中へと入る。

3つ目の曲がり角の所で、悲鳴に似た声が聞こえた。耳を澄ましてどこから聞こえてきたのか探る。押し殺したような声が2つ目のドアから聞こえてきた。ドアの前に行き、耳を当てる。

「お前は私に売られたんだよ。借金を立て替えてやる代わりにな。」

成程、金は無いけど生活の質を落としたくないから借金して変わらない生活をする。雪だるま式に借金は増えていって、何も知らない娘に全てを贖わせる、と。ドラマや小説なんかでよくあることが現実にあると、なんだか不思議な気分になるな。

どちらが正しく、どちらが正しくないのか?義はどちらにあるのだろうか? おそらく、借金は親がしたものだろう。女はそれを知らずに使っていた。そのことは責められるべきだろうか?確かに無知は責められるべきだろうが、知れないことを責めるわけにはいかないだろう。

何を一人で悩んでいるのだろう?

自らを嘲りたくなる。

俺はただ報復のために人の命を奪った。無為に虫や動物の命を奪ったこともある。義はもうなくしてしまったんだ。俺は少なくとも人に胸を張れる人間じゃない。

犯罪者といわれる人間ですら己が義を持っていることがあるというのに義をなくした人間が何者足り得るというのだろうか?

部屋の方から衣服を引き裂く音がした。次いで、微かなうめき声。 服を引き裂いた方を倒す。そう決めた。

ドアノブをゆっくりと回した。半分を越えたあたりで抵抗がある。

どうやら鍵は掛けられていなかったようだ。何を考えているんだろうか?

自然と口元が緩んでいくのがわかった。

そのままドアを開ける。下卑た笑い。脱がされようとしている服。

男がこちらを見る。まるでスローモーションだ。

ドアノブを放した。

男が声を出す。ひどいダミ声だ。思わず顔を顰めてしまう。

ドアが閉まる音がした。当分、加勢は来ないだろう。

男が窓の方へと向かう。助けを呼ぶ気だろうか?

馬鹿な男だ。

男を追い、勢いのままに背中を蹴りつける。嗚咽が聞こえ、前のめりに潰れた。更に幾度か踏みつける。

吐しゃ物が口から漏れてきた。

ああ、なんて醜いんだろう。吐き気がこみ上げてくる。

怒りのままに頭を蹴りつけた。反応はない。ノビたのだろう。

一応、自分の衣服を確認する。問題ない。大きく息を吐き、襟を正した。

そういえば女は外に逃げてくれただろうか?

部屋を見回す。

居た。あらわになった肌を引き裂かれた布で隠すように押さえている。

金髪碧眼。

典型的な外国人だ。日本語が通じるのだろうか?

「大丈夫か?」

とりあえず日本語で話しかけた。反応があるが、理解しているかまではわからない。

「It is all right?」

たしかそう習ったはずだ。

「Yes.」

微かな返事が聞こえた。英語はわかるらしい。日本語はわからないのだろうか?

「Can you understand Japanese?」

「A little.But,I can’t speak Japanese.」

少し、か。外国人の少しというのはわからん。小〜中学校レベルか?

まあいい。どちらにしろ彼女を保護するのが優先だ。

こういう場合、医務室か主催者に引渡すのが普通だろう。これだけ大きいのだから不慮の場合に備えて医務室か医者がいるはずだ。

探せば見つかるだろうが、先程の会話から考えると望ましくないだろう。となると、主催者に任せたほうがいいか。

え〜と…一緒に来いっていうのはどういうんだっけな?

イメージ的に似ている言葉を組み合わせておけばボディランゲージで通じるだろう。

俺は彼女の手を握った。体がビクっと震える。怖いのだろう。

「Come with me.」

答えを言おうとしない彼女の手を引き、立たせる。強引になってしまうが仕方ない。

男もそう長くはノビていないだろう。

部屋から出る。素早く左右を確認し、パーティー会場へと向かう。



扉を開け、中へと入る。

よくわからないが、なんだか騒いでいた。幸いといえるだろう。

おかげで俺たちに注意を向けるものはいない。

彼女に前髪を下ろすように身振り手振りで示した。なかなかに難しかったが、なんとか理解してくれた。これですぐには彼女と気付かないだろう。

奥まで視線を延ばし、小田切さんを探すが見つからない。バーカウンターにいた高橋も、テーブルに居た根本も知らないという。

困ったものだ。

俺はバーカウンターに行き、彼女を座らせてからその隣に座った。

図らずも高橋と彼女に挟まれる形になる。なんとなくおもしろい。

彼女は人見知りをするらしく、何も頼もうとせず下を向いている。

警戒かもしれないが、俺だけ飲むのも気が引ける。

既に頼んだミネラルウォーターを一息に呷ると、カシスオレンジを2つ頼んだ。

ジュースみたいなもんだし、大丈夫だろう。出されたグラスの1つを彼女に渡し、グラスを合わせた。

「乾杯」

なんとなく、日本語で音頭をとった。

呆気にとられたような顔をされたが、すぐに笑顔に変わった。

よかった。

可愛い子には笑顔がよく似合う。

やはり、喉が渇いていたのだろう。瞬く間にグラスの8割を空けてしまった。

俺は彼女の分にカンパリオレンジを頼み、ついでにナッツとカナッペを頼んでみた。

すぐに出てきた。

こういうものも出してくれるとは、本当にショットバーみたいだ。如何に金が掛かっているかよくわかる。

グラスに女が写った。

ルート的に高橋に向かっているのだろう。少しだけ注意を向ける。

「よろしいですか?」

高橋の返事を待ち、隣に座る。まだ若い女の子だ。十代後半だろう。

こんな女が声を掛けてくるのはなぜだ?

警戒しなくてはならない。

話を聞こうと、意識を更にそちらに向けようとしたところで服が逆方向から引っ張られた。

みると、もう2杯目のグラスを空けていた。

少しだけ苦笑し、カルーアミルクを頼む。

女の子とは高橋に任せよう。

そういえば名前を聞いていなかった。授業で習う言葉が本当に正しいか判らないし、今更という気も少しある。

それでも気になってしまったら放っておけまい。

「I don’t your name.Please tell me.」

なにがおもしろいのか、彼女は笑いを堪えている。文意が伝わらなかったのだろうか?

「My name is Alice.Molina・Gold・Alice. OK?」

コロコロと笑いながら確認してくる。警戒心はもうどこにも見当たらない。 本当の彼女はこういう天真爛漫な性格なのだろう。

「OK.My name is Hirokuni Matsuo.」

一応、俺の名前も教えておく。もしも事件が発覚したところで彼女にまで危害はいくまい。

しかし、アリスか。

やはり、童話のアリスを思い出してしまう。今になって内容を思い出してみると訳のわからない物語だ。ああいう不思議な物語は子供の頃でないと純粋な思いで楽しめないのだろう。

彼女を見ると、アリスに似ている気もする。もしも物語のアリスが大きくなったらこんな風に可憐な少女になるだろう。

そう考えて、自分の可笑しさに思わず顔を崩してしまう。

アリスは本の住人だ。大きくなることを考えること自体が可笑しい。こんなことを考えるなんて、もしかしたらまだ俺の中にも少年の心が残っているのかもしれない。









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